2016年10月21日

playlist - 9.4.2016


Opening TM:Minute Merengue/Harry Breuer
M1 : Aquarela Do Brasil PT. 1/Francisco Alves
M2 : Boneca De Pixe/Josephine Baker
M3 : Chattanooga Choo Choo/Carmen Miranda
M4 : South American Way/Carmen Miranda
M5 : Mama Eu Quero/Carmen Miranda
M6 : Boneca De Pixe/Carmen Miranda
M7 : Disserám Que Eu Voltei Americanizada (LIVE 1992)/Caetano Veloso
Ending TM : The Song Is Ended/Stanley Black


音楽っていうのはちょっと景色と、近いんですね。


今週は細野さんワンマン--8月はそんなに暑くなかったですね。東京は。ずっとやっぱりオリンピック見ちゃいますね。開会式に、カエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso)が出てきて、印象深かったですね。さすがブラジルだなぁと思って。というわけで今日は、遅ればせながら、ブラジルの音楽を聴いていきたいと思います。開会式でもダンスしてましたけど、"ブラジル"という曲、その作曲者がアリ・バホーゾ(Ary Barroso)という人ですね--♪1"Aquarela Do Brasil"--1939年に作った、通称"ブラジル"。歌ってるのはFrancisco Alves。Ary Barrosoはピアノ弾いてる人ですね。そのBarrosoの曲で♪2"Boneca De Pixe"という名曲があるんですけど、ジョセフィン・ベイカー(Josephine Baker)バージョンで>>>この曲は1939年のBarrosoの曲ですけど、ブラジルでカルメン・ミランダ(Carmen Miranda)が歌ってました。そのカヴァーなのか、どっちが先っていうか…やっぱりカルメン・ミランダのために作ったのでは。ジョセフィン・ベイカーはこの頃パリで活躍していたわけで。アメリカ生まれで、パリに渡り成功したという。カルメン・ミランダは逆に、ブラジルからアメリカに渡って成功した。とても似た境遇があるんですけど。Carmen Mirandaで、ラジオに出た時の♪3"Chattanooga Choo Choo"


>>>これはラジオバージョンですね。ビッグバンドがついてますが、
オリジナルはコンボでやってます。Banda da Luaというお抱えバンドですね。
翌年の1940年、日本とアメリカは戦争真っ最中ですね。
この頃、アメリカのハリウッド映画では南米ものがいっぱい作られたりしてましたね。
『Down Argentine Way』[1940]という映画--ベティ・グレイブルが出てる
そこにゲスト出演で、なぜかアルゼンチンが舞台なんですけど
クラブでカルメン・ミランダが出るというシチュエーションで2曲ほど歌ってます。
♪4"South American Way"

--後半英語で歌ってる、これはもうアメリカにいた頃なんで。
ハリウッドデビューは1939年。やっぱりあの曲、"ブラジル"が作られた年ですね。
カルメン・ミランダは1909年、実はポルトガルで生まれて。ブラジルに渡って歌手生活をし、
39年にアメリカに行って、映画にいっぱい出て。これで大人気になっちゃったんですね。
頭の上に花とか果物をいっぱい飾って。これは"Tutti Frutti"という…すごく有名になったわけですね。
しかし、アメリカでウケただけ、逆にブラジルではかなり批判を受けてて本人傷ついてましたね。

『遥かなるアルゼンチン(Down Argentine Way)』この映画、アルゼンチンでは上映禁止になった。
何故かと言えば、全然アルゼンチンの文化を反映してないという。
音楽はサンバだったり…かなりメキシコ風なんですね。
ハリウッドってなんか、ラテンて言うと、メキシコが結構幅をきかせちゃうわけですけど。
ミランダはアメリカナイズされたとかなり批判を受けて。
同じようにジョセフィン・ベイカーは1906年、アメリカで生まれて、
パリの舞台でデビューしたら大人気になって。
アメリカに戻ると人種差別受けたりとか。非常に過酷な境遇でしたね。
その2人はとても似てるということなんですけど。
もう1曲、Carmen Mirandaで--♪5 "Mama Eu Quero"

--この曲も『遥かなるアルゼンチン』の中で歌われてた曲ですね。
"South American Way"は、ウッディ・アレンの映画『ラジオ・デイズ』[1987]の中で
ラジオからかかってくる。アレンが子供時代に、親戚のお姉ちゃんがラジオを聴きながら、
カルメン・ミランダの真似をして口パクで踊る、というシーンがとてもよかった。
それだけアメリカで大流行してたのが、カルメン・ミランダ。
戦争中でしたけど、ルーズベルト大統領に呼ばれて官邸でライブしたり。
どうやら、アメリカの国策というかな?戦意高揚というか。
サンバは高揚感がありますからね。南米路線というのを煽ったようなフシがありますね。
暗かったんでしょうけど、サンバやブギがアメリカ人を高揚させたという…側面があるみたいですよ。

ぼくがカルメン・ミランダを初めて聴いたのは24歳くらいだったかなぁ。
『The Brazilian Bombshell』というアルバムを買ったんですけど、
Brazilian Bombshell=ブラジル爆弾娘みたいな。
この中の"チャタヌガ・チュー・チュー"を聴いて、ぼくはびっくりしちゃったんですね。
グレン・ミラーで有名な曲だったんですけど、なんというアレンジなんだろうと。
びっくりしちゃいまして、カヴァーして、レコーディングもした。
サンバとか、特にカルメン・ミランダみたいな曲を聴くとね、パッと広がるんですね、景色が。
だから、音楽っていうのはちょっと景色と、近いんですね。
今話してる内容…例えばミランダがブラジルで批判を浴びたり、
あるいはジョセフィン・ベイカーがアメリカで差別されたりとか。
そういう話なんか関係なく、音楽っていうのはぽんっとそこに咲いてる花みたいな。
景色に近いものなんですね。
背景を知るのはあんまり好きじゃないんですけどね、ぼくは。わりと暗い話が多いから…
例えば、南洋の島に行くと気持ちがいい。景色が広がって海が青く。
それだけでも嬉しいわけですけど、だいたい島の歴史を紐解くと、戦争の記憶があったりね。
そんな気持ちいいばっかりではないわけですよね。知れば知るほど景色が楽しめなくなるっていう…
なんか矛盾したことがあるんですけど。でも知らなきゃいけない歴史があるわけでね。

どうもカルメン・ミランダ特集になりそうですけど。
2曲目の"Boneca De Pixe"、ジョセフィン・ベイカーが歌ってる曲は、
カルメン・ミランダの持ち歌でもあるわけで。
"Boneca De Pixe"何かなと思ったらブラジルのお人形さんですね。
タール人形と言われてるような。
♪6"Boneca De Pixe"

--ブラジルはポルトガル語なんですね。ミランダも生まれはポルトガルですから。
その元には、”サウダージ”っていうようなものが…郷愁とか。
”ファド”という音楽ありますけど…そういうものと繋がってるわけです。
『遥かなるアルゼンチン』アルゼンチンはタンゴの国ですから。
スペイン語なんですね。スペイン系の文化。かなり違うわけですね。
それがアメリカの中ではごちゃまぜですから。わかんないんですけど。
そこら辺で、ミランダは揉まれちゃったというか、傷心のまま過ごしたわけです。

最後にCaetano Velosoの歌で、カルメン・ミランダの曲をやってます。
これはミランダが「アメリカナイズされた」と批判されたことを受けて、
自分の心情を歌った珍しい曲です。
Caetano Veloso版で
♪7"Disserám Que Eu Voltei Americanizada (LIVE 1992)"



posted by daisy holiday at 00:00| daisy holiday 2016